連載
【連載小説】マイホームの罠が夫婦を翻弄する「東京不動産ラブストーリー」

家を買いたい女、買いたくない男。夫の不用意な発言に、妻が初めて背を向けた夜

「オリンピック後に不動産は暴落する…」夫の不用意な発言に、妻がはじめて背を向けた夜

家を買うこと。

それは、人生においていちばん高い買い物だろう。

だが、それなのに我々は不動産の知識を十分に持っているとは言いがたい。
一生を左右する大金を支払うはずなのに。

これは、マイホーム購入を巡って夫婦喧嘩を繰り返し、ついに離婚にまで至ろうとしている新婚カップルのストーリーだ。

幸せな将来を夢見て結婚したはずの2人が、破局に至るほど関係性がこじれてしまった、「不動産の落とし穴」とは――。

賢明な読者の皆様には、2人の体験を、ぜひ参考にしてほしい。

夫の懺悔

目の前に置かれた白い紙を見て、茫然とする。

ひとけのない、がらんとした部屋。

いつもは雑然としたダイニングテーブルは片付けられ、その代わり”離婚届”と書かれた紙が素っ気なく置かれていた。

いつから、間違えてしまったんだろう。

僕たちは、いや僕は、いつ間違えたのだろう。
結婚8カ月目。幸せの絶頂のはずの時期。

でも僕は、妻から離婚を突き付けられ、なす術もなく佇んでいる。

マイホームを買おうとしたことが、間違いだったのか。
思えば、”家を買う”というタスクが2人に出来たときから、関係が少しずつこじれていったように思う。

妻に出ていかれた今ならわかる。
ーー僕たちには、圧倒的に”知識”が足りなかったのだ。

あの瞬間、いや、あそこのタイミングも…。
不動産の、知識さえ、あったなら。

僕たちは、”幸せな新婚夫婦”でいられたはずなのに。

買いたい女、買いたくない男

妻の美恵子とは、2年前にいわゆる合コンで知り合った。
同棲して1年目で、プロポーズ。

結婚3カ月目に妻の妊娠が発覚し、「ハネムーンベビーか」と同僚や友人にからかわれた。

夫40歳、妻35歳。
5歳差は、カップルとしては適度な年齢差だと思う。

だが、「晩婚」な僕たちにとって、結婚3カ月で子どもを授かるというのは非常に大きな喜びだった。

妊娠がわかってすぐのこと。美恵子が、手にチラシを持って、興奮したように駆け寄ってきた。

「新築のモデルルームのキャンペーンで、行くだけで5000円もらえるって!」

いま住んでいるのは、同棲していたときからの都内のマンション。
2LDK、家賃15万円。

50㎡ちょっとの広さは、大人2人と赤ちゃんなら十分だ。

正直家を買うなんてまだ先だと思っていたが、近所だったこともあり、行ってみることにした。

◆◆◆

「へー、62㎡かぁ…」

ファミリー向けのマンション。リビングの広さは今の家と同じくらいだろうか。

「最近の主流は60㎡台です!最近このエリアで新築マンションは出ていませんので、今が買い時ですよ!」
不動産屋が爽やかな笑顔で、さりげなく畳み掛けてくる。

「へー、そうなんだ…。今の家とあまり変わらないからなぁ…」

60㎡でも4000万円以上する。もっと広い家だと一体いくらなのか。
都内に勤める普通のサラリーマン家庭が出せる金額が、60㎡台程度の額しかないから、これが主流なのだろう。

テンションの上がらない僕の様子を見て、妻も黙り込んだ。
その日はそのまま外食をしたが、特にマイホームの話は出なかった。

だが、盛り上がらなかったモデルルーム見学とは裏腹に、なぜか妻のマイホーム熱はヒートアップし、翌週から物件を見て回るようになった。

それから今日で4軒目だ。

『スカイテラス グリーンヒルズ』は新築ではないが、築浅で高級感のあるタワーマンションだった。

美恵子が、「破格の物件がある!!」とネットで見つけてきたのだ。

きれいな室内は食洗器、ディスポーザー、床暖房…最新の設備が揃い、ピカピカと輝いて見えた。

「ステキ―!!!すごくいい!!!こんなおうちに住みたい!!」
「うん、僕もいいと思う」素直に同意する。

「でも、なんでこんなに安いんですか?」

「オーナー様が外国の方なのですが、急遽帰国することになり、売ることになったんです。なるべく早く売りたいとのことで、お値段がお安くなっております」

「そうなんだ…」

「このマンションなら月々12万円のお支払いでご購入いただけますよ!」

不動産屋の言葉に、妻の目が輝く。

「えー!今の家賃より安くてすむじゃん!毎月15万円払うのはもったいないよ!」

「こちら、大変お買い得です!人気物件でお問い合わせもたくさんいただいているので、ご決断はお早いほうがいいかと…」

4500万円。買えない額ではない。
でも、まだ何の覚悟もできていない僕にとって「家を買う」決断はすぐに出来るものではなく、慌てて言った。

「いや落ち着こう?そもそも、今は見て回ってるだけだろ?」

「だってこんなにいい物件なんだよ?破格のお値段だし。真司だって良いって言ったじゃん」

「それは言ったけど…」

まずい。このままだと”買う”なんてことになりかねない。
焦りながら、必死に諦めさせる言い訳を考える。

「まだ4軒しか見ていないし、決めるのは早すぎると思うよ。もっといい物件があるかもしれないし」

そこで、ふとネットか何かで見た話を思い出す。

「あとさ、オリンピックが終わったら不動産価格は下がるっていうじゃん。
高い今に買うことないよ。あと2年、どんな家がいいかじっくり考えて、価格が下がってから買えばいい」

「えー、2年間の家賃、無駄じゃない?」

「300万ちょっとだろ?2年後にはもっと下がってるよ」

有無を言わさないような声色で断じてみる。

「そうかなぁ…」

美恵子の収入は、僕の半分ほど。
貯金額の差から言っても、家を買う資金の大半は僕がだすことになる。

それは彼女もわかっているのか、「買う」という空気は消え去り、僕たちはその場を後にした。

妻の心が離れた夜

「次の土曜のお昼は、大学時代のサークルの集まりがあるから、出かけるね」

美恵子が、嬉しそうにそう切り出したのはマンションを見た翌週のこと。
大学のサークルの先輩が結婚することになり、そのお祝いに集まるらしい。

綺麗に化粧をしていつもよりも着飾った彼女を、「体調に気を付けて。楽しんできなよ」と送り出す。

夕方のニュース番組が始まろうとする頃。
美恵子が血相を変えて帰ってきた。

「OBで不動産に詳しいファイナンシャル・プランナーの先輩がいて。
オリンピック過ぎてもすぐにはマンション価格は下がらないって。
下がるとしても2年後だって。

下がるのを待っていたら4年後になっちゃうよ?
家賃が15万円だったら760万円だよ?

そんなに無駄に払うんなら、あの家、いま買おうよ!」

美恵子のあまりの剣幕に押されて、何がなんだかわからないまま不動産屋に電話をした。

あれから2週間だ。
「人気物件」で「大変お買い得」と言われた『スカイテラス グリーンヒルズ』は、案の定売れていた。

その日の夜。
そろそろ寝ようとベッドに入る。

先に寝ていた妻は、初めて、背中を向けていた。

◆◆◆

離婚届に記入された美恵子の筆跡を目で追いながら、あの日の台詞をありありと思い出す。

確かにそうなのだ。
「オリンピックが終われば不動産は下がる」とお題目のようにそう思ってきたけど、それは終わった瞬間に下がるものではない。

オリンピック過ぎても、人口密集地ではすぐにはマンション価格は下がらないだろう。
なぜなら、今の値段で買い手がいる限り、値段はそのままだからだ。
売れなくなって初めて少し下げ、様子をみてまた少し下げ…。

値引きのルールは、社会人ならちょっと考えればわかることだ。

700万円以上下がるのには、どれだけの時間がかかるのだろう。
そもそも、オリンピックが終わった直後に誰も買わなくなるなんて保証もない。

首都高都心環状線や第二東名などのインフラ整備も、完成はオリンピック後。
突然土地の価格が暴落する…ことは、今の状況だと考えにくい。

4年後に、760万円の家賃をただ払い続けた結果、全く下がらない不動産価格を前に呆然とする未来だってありえる。

今の家賃が例えば8万円だったら、4年待っても384万円。
その間に頭金を貯めるという選択肢もあるだろう。

いつ買うかは、世の中の状況をきちんと調べ、自分たちのコストや財力を把握し、どちらがいいか夫婦で話し合い、決めるべきだったのだ。

知っていたら、あんな不用意なことは言わなかったのに。
重く深いため息をつく。

あの頃の僕は、家を買う、ということを、まだ何もわかっていなかった。

それから、もう一つ。
身体のすみずみまで知っているはずだった妻のことを、何もわかっていなかったという事実。

この後、妻が心の奥に隠し持っていた、暗くドロドロとした本音が噴出し、流れだし、
僕はその濁流に飲み込まれることになる。

妻は、この日以降、僕の知らない女へと変貌していった。

◆◆◆

次回は、妻側の言い分。

妻が絶望した、夫婦間の絶対に埋められない溝とは?

登場人物

【美恵子】

実家は横須賀の高台にある、
できた当時は地元で騒がれた大規模高級マンション。
大学教授の父と専業主婦の母との間の一人娘。
女子大で英文を専攻。卒業後、中小企業に秘書として勤務している。

【真司】

実家は地方の旧家。
100坪はくだらない豪邸と広大な庭がある家に育つ。
3人兄弟の2番目。兄、自分、妹。
東京の私立大学を卒業後、IT系の企業に勤務し、現在3社目。

text:内山愛理

オウチーノニュース編集部

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